【看護師体験】重大な医療ミス寸前・・・!過労が招く危機とは

      2016/04/19

【看護師体験】重大な医療ミス寸前・・・!過労が招く危機とは

当サイトでは転職経験のある看護師さんの体験談を教えていただき、公開しております!


体験者:めぐみさん

年齢 性別 お住まい 利用サービス
40代後半 女性 東京都 医療ワーカー

転職を考えたきっかけは?

転職を考えたきっかけ
当時、私は3交代で外科病棟に勤めていました。

病棟は常に患者さんで一杯です。
ベッドに空きがなく、ほんのわずかな空きがあれば他の病棟で溢れた患者さんが間借りするように入ったりしていました。

ベッドの回転率を上げることは患者さんの早期離床にも繋がると先輩看護師から指導をされ、必死になって看護計画を立案し、早期に退院に向けたケアプランを実践していました。

一般的な外科病棟よりも早期に離床し自立するペースが早いとして評価されたこともあります。
自分がやっていることは正しいという実感があり、そしてやりがいも感じていました。

この頃の私は病院経営という意味すら理解しておらず、保険点数と言われても?な状態。
その後数年してから採血に使う針は「翼状針から直針にすること」とか、ちょっとした処置も記録に残していくというようにという指示が口うるさく言われるようになり、初めて勤め先の病院が経営難であるということを知りました。

今となっては当たり前だと思うのですが、ベッドの回転率を上げるという背景には患者さんの早期離床を促すという他に、報酬を上げるという目的もあったのだと分かりました。

病院が経営難になっていると職員全体に広がったあたりで退職者が急激に増えました。
私も自分の勤めている病院が経営なんであること、経営のために早期離床を促していたのかという気持ちが広がり、なんとなく病院のやり方が気に入らないなと感じ始めていました。

ですがそんなことを考えている暇もないくらい毎日が忙しくなりました。
夜勤の回数もこれまでの1.5倍に増えました。

体調を崩すスタッフも多く、その代打で夜勤に入ることも増えました。
新卒で入る看護師の数も激減し、仕事量はピークに達していました。

そんな時にあの事件が起きたのです。
そしてこれが転職を決意するきっかけになりました。

重大な医療ミス寸前!看護師としての自信を完全に失った出来事とは

重大な医療ミス直前・・・の出来事とは?

その日は日勤・深夜という勤務で、日中の仕事を終えて、一旦帰宅し、ご飯を食べて2時間ほど仮眠してから再び仕事に来ていました。

担当の部屋に内科の患者さんが一時的にベッドを借りているということを知ったのは深夜勤の申し送り時です。
准夜帯にどうしてもということで、日中に空いたベッドに入ったそうです。

糖尿病のコントロールだという申し送りを受けました。
ただ既往に肺気腫があり、酸素投与をしているとも申し送りがありました。
普段は鼻カニューレですが、入院当初から呼吸苦があり現状は酸素5?-マスクまでの指示が出ていました。

深夜帯でも呼吸苦の訴えがあり、私は経過を見ながら酸素の投与量を上げていきました。
なかなかSao2が上がらない中、私はマスクに交換しました。

それからナースステーションに帰ってきて記録をしていたのですが、同じく夜勤帯で働いていた後輩が「○○さんってリザーバーの指示出ていましたか?」と私に尋ねてきました。

「え?リザーバー?」そこではっとしました。
私が交換したのはマスクではなく、リザーバー付きのマスクだったんです。

交換してから数分後の出来事でした。
医師からの指示は5?マスクまでです。
既往に肺気腫があるし、このままではC02ナルコーシスや無呼吸の可能性だってあります。

慌てて患者さんのところへ行き、マスクを交換しました。
バイタルをチェックし、医師へ報告しました。

気がついたのが早かったため、患者さんに影響はありませんでしたが、医師からは怒鳴られ、翌日看護師長からも厳重注意を受けました。
報告書を書いていて涙が止まりませんでした。
こんな危険なことをやらかしてしまう自分が情けなく、このまま看護師として働いていく自信を失いました。

無断欠勤をして気がついたこと

無断欠勤をして気がついたこと

翌日は日勤でした。
ですが、私は無断欠勤をしました。
連絡の一本も煩わしくて、ただ自分の勤務時間が過ぎることだけを願って過ごしました。

自宅には病棟から何度も電話が来ましたが、出ませんでした。
夕方、師長が自宅に尋ねてきました。

「自殺してるかと思った」
と冗談っぽく言われましたが、多分本気でそう思っていたんだと思います。
私はそこでひたすら「もう無理です、辞めさせてください」と懇願しました。

自分が辞めたら他のスタッフがどんなに大変か分かっているつもりです。
それでももう自分は病棟に出てはいけないと思いました。

最初はなんだかんだと言って職場に復帰させようとしていた師長ですが、そのうち理解を示し、退職届を提出するよう説明してくれました。

ここでやっと安心できました。
あの職場から解放される―。

そう思うことで心から開放感を感じていました。

退職を決めてからはどうしていましたか?

退職届を出した後は?

退職は届けを出してから2週間で退職できました。
その2週間の間もスタッフの数が多い日勤帯のみとしました。

ほとんど実務には参加せずに担当患者さんの申し送りを書く作業ばかりしていました。

こうしてバタバタと退職したのもあり、気がついたら仕事を辞めていたという感じです。
しばらくは朝に起きて、夜に寝ることに慣れず、夜中に何度も目が覚めたり、ナースコールが鳴っている幻聴があったりしましたが、それも少しずつ無くなり、のんびりとした日々に落ち着いていきました。

結局この「のんびり」とした無職期間を3ヶ月堪能しました。
無職中は3ヶ月間手当てが出るんですね。
そんなこともその時に初めて知りました。

3ヶ月目後半に、「医療ワーカー」という転職サイトに登録しました。
正社員だけじゃなく、パートやアルバイトなど働き方が自由自在に選べるというのも魅力でしたし、友人がこのサイトを使って転職していたのですが、すごく楽しそうに働いていたというのも「医療ワーカー」を選んだ理由の一つです。

転職までの流れは?

転職までの流れは?
医療ワーカーでは専任の担当者さんがついてくれます。
自分の希望や働き方を一緒に考えてくれました。

私はもう二度と自分を見失うようなことはしたくありませんでしたので、無理のない勤務体制である職場を希望しました。
夜勤は正直少ないか、無い方がいいと伝えました。

こうして私が再び看護師として働き始めたのは「リハビリ施設」です。
退院してきた患者さんが、リハビリに通う通所施設で、日勤のみの勤務となりました。
力仕事はありますが、命に直結というものはほとんどなく、ピリピリとした緊張感はありません。

和やかに患者さんと向き合った仕事が出来るのが何より幸せでした。

急性期でバリバリ仕事をしたいという気持ちはずっとありました。
だけど、年齢を重ねることや、職場環境の労働条件によってはずっと急性期で働くというのは困難な場合もあると思います。

ミスを起こしてからでは、取り返しがつかないこともあります。
私はあの時のことを今でも時々苦々しく思い出します。

一生忘れないと思います。
自分のスキルと体力を過剰評価しない。

そういう姿勢でこれからの看護師人生とうまく付き合っていきたいと思っています。

(体験談はここまで)

point

看護師は命に直結する仕事をしていると言っても過言ではありません。
もちろん医師の指示のもとではありますが、時にさじ加減は看護師に委ねられることもあります。

こういった「揺らぎ」のある場合にミスが起こりやすいのも事実。

命に関わる仕事をしているからこそ、心身共に健康な状態で仕事に臨みたいのに日々の過酷な業務内容がそれを許してはくれません。

回復の兆しがない過酷な職場で働き続けることは危険な行為と言えるかもしれません。
患者さんを危険にさらさないためにも、過酷な勤務を長く継続はしてはいけないと思います。

しかし、それが叶わない職場はたくさんあります。
最終的に自分の身を守るのは自分です。

今回の体験談はそういったことを強く教えてくれるものとなりました。
この経験は人事ではなく、いつ自分の身に降りかかってもおかしくないことだと感じて欲しいと思います。

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